SouthAfrica Jersey Till1996


1991デクラーク政権は長く南アを世界から孤立させたアパルトヘイトを撤廃した

それにより「影のラグビー世界最強国」は久々に桧舞台に上る事となった

復帰に続き1994マンデラ氏の大統領就任、1995第3回RWCへの初開催初出場初優勝

27年投獄されていたマンデラ大統領からキャプテンのピナールに渡される優勝トロフィー

考え得る最高の南アラグビーの復活劇と新生南アの世界へのアピール・・・

ここではこのあたりまでをジャージ的に考察してみる(恐らく世界初?)


Bothaの頃とそれまでのジャージ

私がラグビーを始めた頃は南アと言うのはまだまだ村八分真っ盛りの頃であったが、「恐らく試合をすればNZより強い世界最強国」というのは聞いていた。
又その頃の私には「南ア=ボタ」であった。数少ない情報のほとんどが「南アはSOボタがいるから強い」と言う論調ばかりであった

どんな選手かといろいろ想像した
「キックが上手くて、華麗なステップでかわすSO?」
「ハードなタックルと、ラインを引っ張る攻撃的なSO?」
「それとも見た事も無いような技術を持つSO?」
と結局今に至るまで一度も試合は見たことが無い

ただどんな人物か自分なりになんとなく想像していた、

自分の中では南ア=荒々しい=激しいSOというイメージがあったし
Botha=ボタ=ぼた餅と言う日本語的なイメージでなんとなく、ぼてっとした体型のイメージもあったし
当時「世界最高のSO、ラグビー界のマラドーナ」と表されたアルゼンチンのSOウーゴ・ポルタのイメージがダブり、「ピザ屋のおやじ」のようなイメージもあった

つまり私にとってのボタは「ぼてっとしたピザ屋のおやじ風の体型で、気が荒くて激しいSO」であった

が先日画像を入手した
ピザ屋のおやじどころか、ロックスターのような金髪のハンサムガイであったのでびっくり!
ただプレーを見れなかったのがつくづく残念
(1993Nov14 vs Englandで引退)

 


1994?-1996 Cotton Tradersでの復帰

 

 

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